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徳島地方裁判所 昭和38年(行)7号 判決

原告 西窪シマヱ

被告 厚生大臣

訴訟代理人 村重慶一 外七名

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、原告の夫である訴外亡西窪福晴が、昭和一六年七月三一日、西部第三五部隊に応召し、同年八月二〇日、香川県坂出港を出発し、同月二七日から満州国牡丹江省東寧万鹿溝に露営の第六三兵站警備隊第二中隊配属の陸軍一等兵として警戒並びに露営業務に従事していたこと、おそくとも昭和一六年九月七日、同訴外人が右万鹿溝において左湿性胸膜炎にかかり、同月一〇日、東寧第一陸軍病院に、同月一七日、牡丹江第二陸軍病院に、同月二二日、新京陸軍病院に、同年一〇月二三日、大連陸軍病院に、同月三一日、広島陸軍病院に、同年一一月一八日、善通寺陸軍病院に、それぞれ入院し、右善通寺陸軍病院で加療中、昭和一八年六月一六日、左湿性胸膜炎により死亡したこと、原告は、昭和二七年八月一一日、戦傷病者戦没者遺族等援護法に基き、徳島県知事を通じて、被告に対し、遺族年金の支給を申請(徳援り調第五七四号)したが、同二九年七月三〇日、却下処分が為されたこと、原告はこれに対しさらに同三〇年三月一日徳島県知事を通じて、被告に不服申立をしたところ、同三八年一月九日、被告は不服申立棄却の裁決処分をなし、右裁決は、同年四月二二日、三好郡山城町役場から原告宛に送達されたこと、はいずれも当事者間に争いない。

二、原処分の違法性について。

原告は、西窪福晴の罹病が公務遂行によるものであるから原告の申請を却下した原処分は違法であると主張するので、同人の罹病が公務遂行と相当因果関係があるか否かについて判断する。

いずれもその成立に争いない甲第二号証の一ないし五、原本の存在並びにその成立につき争いない乙第二号証・証人笹岡栄の証言および原告本人の尋問の結果を綜合すると、訴外亡西窪福晴は、明治四四年二月一七日徳島県に生まれ、後原告と婚姻し、昭和七年七月一五日、召集により初めて軍隊に入り、同年一〇月一三日召集解除になり、ついで、昭和一二年八月一四日、二度目の召集により再び軍隊に入り、この時は、上海・台湾にも出征し、翌昭和一三年四月二日召集解除になつたこと、その間、昭和八年頃から郷里の役場で書記の仕事に従事し、二回目の召集解除後も再び右の職務に従事していたが、昭和一五年二月頃、右の職を止めて自から大阪の造兵工廠に勤務するようになり、そして第三回目の本件召集あるまでここに勤務していたこと、本件召集により、昭和一六年八月二七日以来、満州国牡丹江省東寧万鹿溝において露営し、翌二八日以降、夜間は銃前哨、昼間は水中にて井戸掘作業等の軍務に服していたこと、ところが同年九月一日頃より急性咽頭炎にかかり加療した結果、一時軽快したが、同月六日、前記作業中、熱感・全身倦怠・軽咳・左側胸痛等を訴え、さらに翌七日頃から三八・〇度前後の弛張熱・乾性咳嗽をきたし、前胸部並びに左側背痛を覚え、食慾不振・全身倦怠・睡眠障碍をおこし、次第に呼吸促迫を訴えるに至り、診断の結果、左湿性胸膜炎と診断されるに至つたことを、前掲甲第二号証の一ないし五、証人井上義弘の証言によつて真正に成立したと認める乙第一号証・証人井上義弘の証言並びに鑑定人大野文俊の鑑定の結果を綜合すると、湿性胸膜炎は、肺炎等から続発したり或いは胸を強打したりすることから起る極めて僅かな例外的な場合を除けば、その大部分が結核菌の感染によつて発病するものであること、結核性胸膜炎は結核菌に感染してもそれによつて当然に発病するものではなく、むしろ発病するのは例外的であつて、他に発病に至らしめる労働栄養・日照その他環境上の誘因があることによつて発病するものであるが、一般的には結核菌に感染してから四ないし六ケ月の期間の経過した後に発病する例が最も多いこと、西窪福晴は、昭和一六年九月一日に胸膜炎の前徴と思われるカゼの症状を呈し、同月六日には明らかに胸膜炎の症状を呈し、翌七日に湿性胸膜炎と診断されたものであるが、その湿性胸膜炎については(それが肺炎その他の病気から続発したもの、ないしは胸を強打した等によるものであると認むべき事情が窺われず、かえつて爾後に結核性の肋骨カリエス等を併発していることから右胸膜炎は結核性胸膜炎と推認されることがそれぞれ認められ、以上の認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、本件において右結核性胸膜炎の原因と認められる結核菌の感染について、それが西窪福晴の今回の入隊後に感染したものと認められるような証拠はなく、又前記認定の事実からすれば、西窪福晴が昭和一六年七月三一日に軍隊に入隊して坂出港を出発するまで、その間が二〇日間、さらにそれから万鹿溝に到着するまでに七日間、右到着後九月一日に急性咽頭炎にかかるまでの間が五日間、右到着の日から九月六日に身体の異常を訴えるまの間が一〇日間で、同人が本件召集後軍務に服していたのは入隊以来三七日間、坂出港出発以来一七日間の期間にすぎず、且つ万鹿溝に到着以来発病までの間の軍務も、夜間は銃前哨、昼間は水中にての井戸掘作葉等に従事していたとはいえ、それが特に通常予想される以上の服務であつたことおよび同人が軍隊に入隊以来万鹿溝に到着するまでの間において特に発病を余儀なくせしめる程度のきびしい軍務があつたこと等を認めるに足りる事情は窺われないし、なお同人は軍隊に入隊する前の約一年半の間、単身にて大阪の造兵工廠に勤務していたこと等、同人の服務期間・服務内容・軍隊入隊以前の職務等に鑑みれば、同人が今回の軍隊勤務に因り本件胸膜炎の発生原因である結核に感染したものであることを肯定、することはできないし、又同人の軍隊勤務が本件湿性胸膜炎の発病につき、何等かの誘因となつたとしても、それが決定的な要因になつたと認めるには充分でないから、同人の軍隊勤務と本件発病との間に相当因果関係があるとは認められず、他にこれを肯認するに足る証拠はない。

されば結局西窪福晴の罹病が公務遂行によるものであるとは認められないので、被告の為した原処分の取消を求める原告の請求は理由がない。

三、裁決処分の違法性について。

(一)  まず原告主張の五の(一)について判断するに西窪福晴の病床日誌が善通寺陸軍病院に保管されており、被告が本件裁決処分を為すについて右病床日誌の原本を直接調査していないことは当事者間に争いないが、成立に争いがない甲第一号証の記載内容と証人井上義弘の証言および原告本人の尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、原告が被告に対して却下決定に対する不服申立をしたとき、右病床日誌等の正確な写しが申立書に添付されて被告に提出されそして、被告は右病床日誌等の写しを検討して本件裁決処分を為したものであることを認めることができこの認定に反する証拠はない。

ところで本件裁決処分をするについて、右病日誌等を調査する必要があるのはその記載されている内容を検討するためであつて、右のようにその写しについて検討すれば必ずしもその原本を調査しなければ適切な判断が為しえないというものではないから、この点につき、本件裁決のための調査に欠けるところがあつたとはいえず、他に本件裁決に当りその調査手続に違法な点があつたことを認めるに足る証拠はない。

(二)  つぎに原告は、被告が為した本件裁決処分の裁決書には、ただ単に結論を記載したのみで、その理由が全く記載されていないから、本件裁決処分はその形式的要件を欠き違法であると主張するので、この点を判断する。

被告の為した本件裁決処分の裁決書には、「上記の罹病を公務によるものとするには、その罹病が公務遂行と相当因果関係がなければならないのであるが、死亡した者の在職当時の勤務の内容・給養・環境等の諸条件から判断するに、上記の相当因果関係があるとは認められない。」旨の記載が為されていることは、当事者間に争いない。

ところで戦傷病者戦没者遺族等援護法施行令(昭和二七年五月一二日政令第一四三号)第九条(昭和三七年九月二九日政令第三九一号により削除)、戦傷病者戦没者遺族等援護法施行令附則(昭和三七年九月二九日政令第三九一号)第三号が、裁決処分について裁決書を作成し、かつ、それに理由を記載することを要求しているのは、当事者に対し、裁決の内容を知らせるとともに、裁決機関の判断が恣意に流れることなく公正に行われることを保障するためと解されるから、その理由としては、申立人の不服事由に対応してその結論が導き出されるに至つた過程を明かにし、その判断の根拠を理解しうる程度に記載すべきものと解すべきところ、前記裁決書(甲第一号証)の記載によれば、右当事者間に争ない記載部分は、その理由中の結論部分に当り、その前段には不服申立人の申立の趣旨と西窪福晴の入隊より死亡に至る略歴が記載されていて、同人のこれらの勤務内容・給養・環境等の諸条件から判断すると、同人の罹病と公務との間に相当因果関係が認められないというにあることが理解できるから、いささか簡略にすぎるきらいがあるとはいえ、これをもつて、右裁決書に理由記載の不備欠缺の違法があるものとはいえない。

四、よつて、原告の請求はいずれもその理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤和男 野口喜蔵 武内大佳)

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